今年も残り2日となりました。
年末はkiyora小倉店 kiyora天神店 両店舗とも12/28 4時までの営業となります。
年始は 1/2からの営業とならいます。
へメイク体験1/2 1/3 1/5と開催です。
年末クリスマス寒波の影響で、ご案内が遅れて、入るかもしれませんが、ホームページより、ご予約お待ちしております。
1年間本当にありがとうございました。
又、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
今回の案内状はいつもは、アルファベットでkiyoraなのですが、名前を憶えて頂くために、カタカナでキヨラと書いています。
なかなかアルファベットだと、どう読むのかなと思いカタカナでキヨラ、キヨラ、キヨラです。
覚えてもらえると嬉しいです。キヨラの早期特典が、2024年にはたちお迎えるお嬢様は、この12月までが当日の御支度が
無料となっています。絶対お得なので、お早めにお越しください。
kiyora天神店 富国生命ビル 横のアクロス福岡ステップガーデン全体がイルミネーションZOOに昨日からなっています。
是非、天神に遊びにお越しください。
すっかり、秋らしくなってきましたね。
小倉駅から徒歩1分のめちゃくちゃ好立地にあるきよら キヨラ kiyora
を是非、ご利用くださ。
来年成人式で、まだ、決められてない方に、10/26 10/27の前撮り枠が、
まだ、若干空いております。行くか迷っているお嬢様。
きよら キヨラ kiyora小倉店でお待ちしております。
米沢ののきもの 前回のつづき
いわば、ブランド高級スーツに身をつつんで黒塗りの運転手付きで通勤したい、夜な夜な銀座へ接待に行きたくてたまらないといった風情の重役たちから、強烈な徹底抗戦が始まるのです。率先垂範で倹約に努め、すべて包み隠さずに全員に現状を告げる鷹山公でしたが、贅沢な大好きな重役たちから批判の嵐。罵詈雑言の抗議文が山ほど届きました。やがて、役職の上下にかかわらず、身分の低い人の意見にも耳をかたむけた鷹山の改革は少しずつ実を結び始めますが、農民たちの生活はもともと質素でしたので、節約できるものは、もはや、何もありませんでした。節約だけでは立ち行かす鷹山の養蚕振興が始まります。自らが率先垂範して、水田を耕し、家中の武士たちも新田開発や治水にあたらせます。そういえば、米沢で取材中に食べたおいしかったことといったら。登城して雑談しているだけの武士たちも、体をつかって汗をかき何かを生み出すことに注力させました。領内の特産品をつぶさに調べ、米沢の気候、風土にあうものは次々に取り入れていきます。青苧、鯉、桑、楮、紅花などは米に代わって年貢になったり、他国へ行けば高価で取引できるものばかりでした。特に紅花は金よりも高額で取引されたといいます。生垣にはウコギを植え、いざといううときにウコギで飢えをしのぎました。直江兼続公のじだいからウコギはあったようですが、鷹山公が奨励したことかで格段に増えました。今も米沢のあちらこちらにウコギの生け垣を見ることができます。刈り取りが終わった田や池では鯉をかい鍬をふるうことのできない老人や子供たちが世話にあたりました。城の庭や武士たちの自宅の庭には桑をうえ、養蚕を始めました。これが米沢が着物の一大産地となる第一歩となりました。みすみす損すると分かっていても、正直な生き方をする意味のそんぴんという米沢の方言は、人をさげすむ言葉から、誉め言葉へと意味を変えていきました。貧しさゆえに当たり前のようにおこなわれていた、生まれたばかりの子を自らの手で葬る間引きや、労働力として価値を失った老人を捨てる姨捨も鷹山は禁じます。藩は藩主の為ではなく藩民のためにあるという信念を徹底的に貫いたのである。1782年から6年間及んだ天明の大飢饉では、南部藩、秋田藩などでは餓死者があとをたたなかったという、悲しい歴史がありますが、なんと、米沢藩では一人もださなかったのです。鷹山が行った多くの改革、殖産振興の中で最も力を注ぎ、最も大きな産業開発となったのが染織です。謙信のときから置賜特産の青苧はもともとは上杉領だった越後、小千谷縮の原料としてもちいられていました。鷹山はそれを原料として出荷するだけでなく、織物として付加価値をつけようと考えました。原料があっても、織りてのいない米沢に越後から機織りの職人を呼び寄せ高給をあたえて厚遇し、織りの指導にあたらせました。究極の質素倹約を続けながらも、必要なところにはきっちりお金をかけたのです。江戸城大奥では煌びやかな衣装で装うことを競い合ってた時代に鷹山はまず家中の女子に機織りを習わせ熟練してくると、続いて農民たちに教え、機をおらせました。ついに武士の妻たちも糸を染め機をおるようになり染織の一大産地への礎となったのです。今から二百年以上前に上杉鷹山の改革、殖産振興によって始まった米沢織はその精神とともに連綿と今に受け継がれています。米沢では現在も、着物や帯だけでなくおよそ布と呼ぶ物は服地、インテリアと広く新しいものを生み出し世界から注目されています。男物の袴に至っては全国の生産量の95%以上を占めています。麻により縮織りにはじまり、養蚕を盛んにした米沢では絹織物でも世界に誇る一大産地となりました。米沢の気候、風土に合うものは何でも取り入れ、正直に真面目に取り組むことで、無から有を生み出すことを米沢の人たちは知っています。
為せば成る
為さねばならぬなにごとも
成らぬは人の為さぬなりけり
鷹山のこの言葉は今も輝きを失うことなく、米沢の人たちに受け継がれています。米沢の着物を眺めているとこの言葉が聞こえてくるようなきがしませんか。米沢の市内には、通りの片隅などに草木塔が点在しています。草木にもそれぞれに精霊が宿るというう信仰から、草木から得られる恩恵に感謝をし、伐採した草木の魂を供養する心が洗われています。この地方ならではの草木塔を見かけるたびに、ものを大切にし自然に感謝するという米沢の人たちのDNAを感じ、ますます米沢が好きになります。 るるとより
日本の民族衣装である着物
その歴史は人の歴史であり文化です。いろいろな時代背景の中から、その土地で培われたもの。今回は米沢紬の歴史についての紹介でした。kiyoraは基本的には振袖のお店ですが、大きな意味で伝統文化もしっかりとバックボーンとして、このお仕事に携わっていけたらと思います。
信長から秀吉へ、そして家康へと、天下をめぐって、多くの武将たちが疾風怒濤のごとく駆け抜けた戦国時代。戦をするなら謙信のように、と後のよまで伝えられた天下の戦上手、謙信は、1530年、越後守護代の長尾為景の四男として生まれた。長子でなかったため、禅寺で育ちましたが、為景の死後、長尾一族を統一、後に山内家上杉家の養子となり越後から関東一円を治めます。甲斐から信濃へと進出していた武田信玄との川中島での戦いは、あまりに有名ですが、実はこの戦いは数年にわたって農閑期に行はれていたのです。士農工商の世が定まる前は、領民たちが鍬やすきを弓矢や槍に持ち替えて、農閑期にたたかっていたのでした。敵に塩を送るという
ことわざは、海のない武田領で常に塩が不足していいたため、謙信が信玄に送ったという話からきています。戦上手で勇猛果敢なイメージが強い謙信ですが、実は慈悲深く、文学に造詣が深く、道義にも篤い文武両道の人でした。上杉家の当主を二代にわたって殺害した父親からは下克上の戦国を生き抜く処世術を、勧世音菩薩の信者だった母から慈悲の心を受け継いでいたのでしょうか。謙信は信長との戦いでも大勝し、後の世に上杉に逢うては織田も名取川はねる謙信逃ぐるとぶ長と狂歌に詠まれたほどでした。しかし関東大遠征の直前、四九歳の謙信は脳溢血で倒れてしまいます。敵に送るほどあった塩分の撮り過ぎだとしたら、シャレになりません。毘沙門天の化身は天下への夢を秘めたまま無念の死を遂げました。謙信の死後、二代景勝が家督を継いで、越後の平定に注力。米沢藩主としては初代となります。同時に豊臣大名として勢力を拡大していきます。その後1598年に越後91万石から、会津へと移封をめいじられて、120万石になり、豊臣五大老の一人となりました。なぜ、移封?なぜ加増?と謎の多いいことですが、その理由は憶測も含めて数多くありますので、ここでは割愛いたします。景勝は、天下分け目の関ヶ原の合戦で豊臣がはについたことから、家康によって米沢に移封され領地は四分の一の30万石となりました。三大綱勝が世夭子をさだめないまま夭折し、養子の綱憲が四代藩主となった時にはさらに一五万石に米沢藩の困窮が始まります。景勝は会津からすべて藩士を連れ、米沢に入ってしまったので、会社で言えば売り上げは四分の一で社員数は今までどおりという、倒産間違いなしのかなり厳しい構造だったところへさらに売り上げ半分 急遽四代目として養子に迎えられた綱憲は忠臣蔵で有名な吉良上野介の子ですが、これが火の車を巨大にしていくのです。ドラマや映画のとおり、実父の上野介は礼儀指南で財政よりしきたりを最も重んじました。実父上野介の指南により、綱憲は行事や交際では見栄を張り、金に糸目をつけません。うるさそうな藩士には高給をあたえて口を封じ、おとなしい藩士の給料は値切るというめちゃくちゃな経営は綱憲の後も続き五代吉憲、六代宗憲、七代宗房、八代重定、と借金は膨大にふくれあがるばかり。九代として養子に入ったのが上杉家中輿の祖といわれる上杉鷹山公その人。家老たちは疲れ果て、考える力も失い藩政返上が叫ばれているところでした。ちなみに米沢の人たちは忠臣蔵をあまりみないと、取材でたちよった店の方がおっしゃっていました。実は鷹山公も上野介の孫娘のそのまた孫娘を母にもつ、いわば、上野介の子孫。上野介は贅沢な政治指南で米沢藩を困窮のどん底に導いた真犯人みたいなものですからなんとも皮肉なことです。鷹山は幼名を松三郎といいました。後に直松と改め10歳で上杉藩に養子に入った時に直丸勝興に。さらに元服後に治憲と改め、晩年にやっと鷹山です。ご存じの通り、藩主の妻子は江戸に置かれた時代。日向高鍋藩三万石から東北の米沢藩まで、10歳の子供が長旅かとおもいきや、実は江戸屋敷から江戸屋敷へという近所の引っ越しでした。しかし、引っ越しは楽でも上杉家へ養子入りした後は楽ではありません。藩主ですから、帝王学を徹底的に叩き込まれます。師は折衷学派の儒者、細井平洲。朱子学、陽明学などを単に読み解くだけではなくて自分のものとして実践を重んじる学派でした。さて、17歳の鷹山が最初に着手したのが大倹約でした。いわゆる、どこの会社でも試みる経費節減運動です。参勤交代の行列を減らし、藩主でありながら普段は木綿の着物、食事は一汁一菜、上野介から続いた音信贈答の習慣を固く禁じました。自分の生活費は1500両から200両へ、奥女中は50人から9人へと減らし、上野介指南の見栄の生活はここで終わりを告げるのですが、さてここからが大変です。 つづきは又次回 るるとより抜粋
価格は店頭発表いたします。
こちらの商品は、販売のみとなります。
kiyora天神店にて、展示中です。
サンクスフェアお礼
二週にわたってサンクスフェア開催に際し、ご来店いただき、誠にありがとうございました。
関係者の方にも厚く御礼申し上げます。
又、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。
kiyora 店長 中村
kiyora小倉店では、いよいよ、10/28~10/30の3日間サンクスフェアを開催いたします。
たくさんの、顧客様にご予約いただきありがとうございます。
まだ、空きございますので、今からでもご予約下さい。
振袖も同時開催中です。
ご来店お待ちしてをります。
今年高校を卒業し再来年に20歳になる、お嬢様にお得情報。
kiyoraでは、年内にご契約いただいたお客様に、早期特典として、
成人式当日のヘアーメイク着付けが無料でさせていただきます。
めちゃくちゃ、お得なので、kiyora小倉店kiyora天神店でおまちしています。
ご予約なくても大丈夫です。お気軽にお越しください。
家族がひとつになった!?
それは、成人式の少し前のこと。
「御家族も一緒に着物を着て写真を撮りませんか?」
振袖を購入した呉服屋さんの意外な一言で始まりました。
「お嫁入に持たせてもらったきものは、娘の七五三の時に着たきりなんです」
と言いながらモジモジする母。
聞かれてもいないのに、「10キロ以上太ったからもうあの訪問着は多分着られない」
と体重増を連呼し続ける母の訴えには一切耳をかさず、照れくさいのか、驚いたのか、
一瞬ポカーンとしたあと、意味なく照れ笑いする父。
最初は、誰もが本気にしなかったし、やる気もなかったのに、先輩たちの
「家族記念写真撮影」のほほえましい写真を見せてもらってるうちに、父が一言
「ちゃんとした格好をして、家族みんなで写真を撮るのは最後になるかもしれないぞ」
と言い出したところで我が家の「家族記念写真撮影」が決定!
「なんで?写真なんてスマホでいつだって撮れるじゃない?」
と思いながらも、だんだん本気になっていく両親に、私も「まあ、そういうのも
たまには、悪くないかな」と思い始めました
母はサイズだけでなく、訪問着の色柄も心配らしく、呉服屋さんに相談すると、
おばあちゃんが母の為に誂えた訪問着をとても丁寧に見てくれました。そのままで大丈夫で
、しかも、プロが上手に着付けてくれるらしいことを聞いて母もひと安心!
「エステに行かなくていかしら」
「主役はお母さんじゃないだろ」
撮影の日がちかづくにつれ、家族の会話が少しづつ増えていきました。
そして、誰も知らないうちに、床屋へ行った父は、なぜか少しサイドを少し刈り上げて
今風のヘアースタイルになっていて、しかもカッコいい!・・・・もしかして、
お父さん髪をそめた!?
私の知らないうちに一緒に写る気になっている弟も、なぜか意味不明のハイテンションで
何を着るか母に相談している・・・・。
ちゃんとした写真だから制服にするって・
クリーニングに出したほうがいいかもしれないレベルでかなり汚れているのに大丈夫・
「おじいちゃんも、おばあちゃんもその日来るって」
と電話を切った母の一言で、いよいよ一大イベントになっていることにきづいた私。
仲はいいけどお互いマイペース。互いに興味なしだった私たち家族。
そう、私の成人式をきっかけにうちの家族はひとつになってしまった。(家族のきずなより)
まさに、この仕事をして、感じることは、家族のきずなです。
子を思う母の思い、父の思い、おじいちゃんの思い、おばあちゃんの思い、叔母様の思い、叔父様の思い、
兄弟の思い、本当に本当にこのお仕事に携われることができて、本当に幸せです。
明日から、小倉店で前撮り撮影会です。たくさんの家族の思い出に残るように、スタッフ一同心お込めて
させていただきますので、どうぞよろしくお願い致します。
10月はママの振袖、通称ママ振り応援月間です。
お手入れのお話を少しします。
お着物は基本高級なものはすべて、正絹(いわゆる絹100%)での素材になります。
なので、たたみしわは、中々素人ではとれません。ご自分でアイロンがけして、失敗したら
大変です。なので、そこは、必ず専門店にご相談ください。
kiyoraでも
10/21から10/23は天神店
10/28から10/30は小倉店に専門家を招いての無料ご相談会をいたします。
一人のお客様におおよそ、30分は必要ですので、ご予約おススメいたします。
大切なママの振袖をお嬢様が、来てくれると、とても素敵だと思います。
お着物は、振袖もそうですが、日本女性の思いが母から娘また、その娘へと継がれていく歴史です。
kiyoraもそのお役に立てれば幸いです。
おはようございます。
kiyoraより、お得意様に、サンクスフェアのお便りが届きましたか。
今回は、盛沢の内容で各店舗で、一般呉服、パール展を開催いたします。
混雑が予想されますので、是非ご予約下さい。
今日で9月も終わりです。
まだ少し暑さも残りますが、だいぶ、過ごしやすくなりましたね。
8月9月は振袖業界で言えば、かきいれどきの時期ではありましたが、台風やコロナで
大変な思いもしましたが、スタッフ、関係者の皆様のおかげで、何とかやりきる事が出来ました。
本当にありがとうございます。また、ご来店いただいたお客様に心から感謝いたします。
本当にありがとうございました。
いよいよ、明日から、10月スタートです。
kiyora天神店は2日間前撮り
kiyora小倉店は朝からご予約いただき、10月もはりきっていきたいと思います。
どしどしの、ご予約お待ちしています。
季節の変わり目、体調には、くれぐれ、お気を付けください。。